――ここで登場するご本人から賛同いただいたので、私が感じたことを書かせていただこうと思う。
昨年からファッションのサポートをさせていただいているひとりの女性。
彼女は生まれつき全盲の視覚障害をお持ちの方。
出会いは以前サポートさせていただいていた方が彼女に「パワーもらえるよ」と、ご紹介してくださりバトンが渡された。
さっそく電話で会話をして、私はこれまでに視覚障害者の方をサポートした経験はなく手探りになりそうだ、しかし出来ることを精一杯サポートしたい、という旨のことを正直にお伝えした。
後日、初対面のファッションカウンセリングを行うことに。
私はご自宅へ出張することがベストなのではないかと先回りした。
しかし彼女は軽やかに「どこへでも行けるので伺います!」と、片道1時間半かけて私の自宅サロンへ来てくださった。
駅で待ち合わせ。
私は経験値がないながらも、自分の立場にはどんな役割があるのかざっくりとは理解していた。
それは過去にナースを志し看護学生だった経験があったので、相手の方が何を求めているかを多少なりとも知っていたからだ。
20年以上経ってようやく役立った、私の身体で覚えた知識だった。
駅前のエスカレーターから降りたベストポジションに車を停車させる。
事前に交番の方に許可を得ていた。
ご挨拶して会えたことを喜び合い、私たち二人はさっそく歩き出す。
そっと腕を差し出す私と、その腕を軽く掴む彼女。
歩く私たちはまさに一体感で、お会いして数分で彼女を愛おしく感じた最初の瞬間だった。

そして、スタートしたファッションサポート。
ファッションカウンセリングとショッピングアテンド、さらにはご自宅でのワードローブチェックという一連のサービスを、継続的にサポートさせていただいている。
ファッションのサポートをさせていただく中での私の課題は、色・形・イメージ・スタイル・着こなし方をどうお伝えしたらわかりやすいか、ということ。
ファッションは視覚の部分がほとんど。
それをどう伝えてどう理解してもらうか。
これは私にとって一番の課題だった。
事前にたくさん考えた。
全盲の方にまつわる本やサイトを調べて読みあさり、知らなかった世界を知った。
自分がどう伝えるべきか?その私の答えは、相手がどう伝えてもらうと理解しやすいか、という相手目線を考えて想像していくこと。
生まれつき全盲の方は色も形も見たことがない。
私たちが普段当たり前のように捉えている「見ているものと触れているものの一致」は、生まれつき全盲の方にとっては当たり前ではないし、むしろ未体験なのだ。
だからこそ、彼女は人一倍優れた感覚を持っている。
いや、優れているなんて失礼なくらい、彼女の感覚は驚くほど素晴らしい。
まず、記憶力。
一度聴いたらほぼ確実に記憶している。
この記憶力は、私にとって大きな驚きだった。
私なんて、何かをインプットした分何かを忘れてしまう。
「年齢だな〜」なんて、理由をつけては甘んじてる自分に反省したくらい。
触覚。
敏感な感覚で素材感や特徴などを掴む。
彼女は自分の手で物に触れ皮膚で感じた感触からイメージへ、そして記憶へとつなげていく。
そして、イメージ力。
他者から耳で聴いたイメージを自分の中でしっかり膨らませる。
そこに浮かぶイメージはきっと具体的で躍動感たっぷりなんじゃないかと、私は想像している。
その一連のつながりは驚くほどに一瞬にして、自然に行っているように私の目に映った。
例えば、ショッピングアテンド(ショッピング同行)でご提案するアイテムの素材、色、デザイン、装飾品、ディテールをひとつひとつ触ってもらい、細かく説明する。
そして、そのひとつひとつを組み合わせてコーディネートすることで生まれる、色バランス、全体のイメージ、装飾品の効果、ディテールの生かされ方、体のラインの見え方、などをお伝えする。
彼女はその多くの情報を一度に理解してインプットしていたのだ。
もはや敬服の気持ちしかない。
その反面で、ショップで試着したのち、気に入るか否かの判断は一体どのようにされるんだろうと、最初は想像すらできなかった。
すると、提案したスタイリングを試着してフィッティングルームから出てきた彼女は、鏡の前でこう言った。
「えー!私、可愛い!!」
私は衝撃と感動のあまり涙があふれた。
そう、優れた感覚とイメージ力なんだ。
彼女は自分の中でちゃんと見えている。
伝わってきたことを感覚で受け止めて自分のものにしている。
人の感覚や記憶ってこんなふうにイメージを創り出すことができるんだと、あらためて強く思った。
そして、「私、可愛い!!」と素直に感じる彼女を、心から可愛いと思った。
それまでの彼女のファッションの取り入れ方を伺ったところ、何となくでも自分のイメージした色やデザインを求めてショップに向かい、店員さんにお伝えして選んでもらっていたそう。
でも、さらにパーソナルな部分を追求したい気持ちから私にご依頼をしてくださった。
私の想像ではあるけれど、きっと本当のところを知りたかったんだと思う。
自分の求めるファッションと客観的なファッション。
なんとなくの良さで選ぶのではなく一点一点納得して選ぶこと。
真意の「似合う」に出会うこと。
作成するレポートもそれまでの視覚的な形式とは違い、全てを文章でまとめていった。
各アイテムに番号をふり、イメージしやすいようにひとつひとつ丁寧に言葉で解説し、コーディネート提案へとつなげた。
難しさもあったけれど、私はとても楽しくレポート作成をした。
それは、彼女が前向きにファッションと自分のありたい姿を思い描いていたから。
ファッションを楽しみたい、もっと素敵になりたい、というシンプルな気持ちを持っていたから。
またそう願う理由も知っていたから。
優れたイメージ力でコーディネートを楽しんでくれると信じていたから。

私は彼女から、知らなかった世界や多くの感覚を学び、当たり前すぎて日頃見過ごしていた数々のことに気づかされた。
また、人の感覚やイメージ力に枠はないということも再確認した。
この文章を書いた目的は、「障害者も頑張っているんだから、私たちも頑張らなきゃ。」という類のものではない。
私たちが当たり前や無意識に使っている感覚は、より繊細に感じることができるんだということ。
感覚は訓練のように繰り返して使っていけば、きっと繊細に敏感に動き出すはずだということ。
普段どのくらい自分の感覚に意識を向けて生活しているのかと振り返るいい機会になればということ。
私自身、無意識に行動していることはとても多くて、他のことを考えながら目の前のことをやっている「心ここにあらず」なんてこともしょっちゅうある。
そんな私のような人でも、一日の中のほんの数回くらいなら「もっと感覚を使おう」と『意識的』に取り組むことは、忙しくともできそうだ。
意識的にやってみよう、と思う気持ちがあるとないとでは大いに違うだろうから、まずはそこから。
普段、私たちは必要以上に「気」ばかりを使い、物事を余計複雑に捉えすぎてしまい、結果疲れてしまったりする。
ここで言う「気」は、思いやりから生まれる「気遣い」や「気配り」とは違う意味のこととして。
同じ時間や活動をするなら、もっと主観的な「感覚」という部分に意識的に目を向けて育てていった方が生み出されるものはある気がするし、すごく健康的だと思う。
そうは言っても、「意識的に感覚に目を向ける」って具体的にはどういうことだろう?と私なりに考えてみた。
例えば珈琲を淹れる時。
私は珈琲豆の粉をフィルターにセットし、やかんの湯でハンドドリップする。
珈琲豆の粉に水分がじんわり含まれる様子にほっこり安堵感を覚える。
蒸らしてる間に広がる最初の匂いが大好きで思わず深く呼吸してしまう。
湯をたっぷり注ぐと表面がまあるくふんわり泡立ち、心が包まれた気分になる。
さらには濃いブラウンの珈琲豆の色とつぶつぶと細かく白く泡立つグラデーションを、美しいと感じる。
ポトポト、チョロチョロ、と落ちる音に心地よく耳を傾けてはリラックスする。
意識的に、目の前の珈琲と淹れる工程の変化に目を向けると、実は色々な感覚を使っていて、色々な気持ちを感じているんだと気づく。
考え事があったり時間がない時には、淹れながら他の物事を考えている。
体が覚えている無意識の感覚は使っているけれど、感覚を「味わって」はいない。
感覚を味わっていない時には、ふと感じる安堵感、深呼吸したくなるくらいの心地よい匂い、好きと思う瞬間の感情、素材感や色の変化から感じること、心地よい音で得るリラックス感、これだけ多くのことをやり過ごして生活しているんだなと、ちょっと勿体ないなんて思う。
よく私は、ファッションにはイメージが大切だと伝えている。
そのイメージ力には感覚が不可欠なわけで、その感覚の精度が上がれば上がるほど、より具体的に幅広く、もっと自由にイメージしていくことができるんだろうとも思う。
せっかく持っている感覚を、もっと意識的に使って精度を上げていくことは、ファッションに限らず生きていく上で必ず役立つだろうし、自分の人生がもっと豊かになるだろう。
彼女と出会い接する中で「感覚とイメージ」の素晴らしさを目の前で体感できたことで、明らかに私の中で意識が変わった。
誰もが待ち備えている感覚は、使い方次第、また使うか使わないかでその意味が変わってくる。
見える世界も変わってくるんだと改めて気づかせてもらった。
障害がある中での苦労は、私には到底共感し得ないことだらけだけど、彼女から発せられる明るさや可愛さやエネルギー、全てをひっくるめた美しさは私の全身でたっぷり感じることができた。
足りないことを嘆くよりも、持ち合わせているものを120%使い、自分力で自分を満たす。
自分を立て直したり前進させるのは、自分の意識と希望。
私たちは、そうやって自分の人生を創造していけるはずだ。
そんな多くのことを感じさせていただいている、彼女との出会いと時間。
「視覚障害者とファッション」というタイトルではあるけれど、日々の過ごし方や生き方などの本質を、一旦立ち止まり考えるきっかになれば嬉しいなと思う。
最後に、勇気をもって一歩を踏み出し、私を頼ってくださった彼女に心から感謝を伝えたい。
ありがとう。
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